proj-poverty yuiseki 2021-07-15
アジェンダ
貧困(poverty)という語を使うべきではないのだとしたら別の語を一刻も速く決定してほしい
経済的事情について積極的に語りたがらない人が多いのに経済事情について主観的な情報があつまる前提で繊細な可視化をするのは無理では
風呂敷が広がりすぎているので、ソフトウェアエンジニアリングで協力・解決できる範囲を明確にしてほしい
品位を意識しすぎているのではという話をしたい
yuiseki.iconの考え
以下、それぞれについて書いていきます
貧困(poverty)という語を使うべきではないのだとしたら別の語を一刻も速く決定してほしい
プロジェクト名はソフトウェア開発のすべての作業に関係するため
GitHubリポジトリ名の取得
ドメイン名の取得
ソースコードにおけるクラス、メソッド、変数の命名
名前が決まらないと何もできないし、名前が変わると全部作り直しになる
ここが決まらないのならソフトウェア開発においては貧困(poverty)という語を使い続けますyuiseki.icon
経済的事情について積極的に語りたがらない人が多いのに経済事情について主観的な情報があつまる前提で繊細な可視化をするのは無理では
proto-povertyのデータ可視化は基本的に個人の経済的事情について極めて詳細な情報が集まる前提になっている
スターチャート
ワードクラウド
自分の経済的事情を正直に詳細に赤裸々に語ってくれる人がたくさんいないとインパクトのある可視化にならない
モックデータでプロトタイプを作ってみて、それを元に他団体を説得してリアルかつパブリックなデータを集めようという話だったと記憶しているyuiseki.icon
モックデータに基づいたプロトタイプはyuiseki.iconが数ヶ月前に作った
その後数ヶ月、リアルかつパブリックなデータが集まる気配はない
なぜリアルかつパブリックなデータが集まらないのだろうか
(集まっているのかもしれないけどyuiseki.iconに共有されることは無かった)
経済的事情について積極的に公に語りたがらない人が多いという蓋然性は高まっていると感じるyuiseki.icon
「貧困」とか「困窮」とかいう言葉を使うことによる弊害がいろいろあるらしい
yuiseki.iconの仮説:経済的困窮が「恥」だから?
結局リアルかつパブリックなデータが集まって価値のある開発成果になるとは思えないのでモチベーションが下がっているyuiseki.icon
続けるとしたらリアルかつパブリックなデータを収集するための工夫が必要
経済的困窮が「恥」であったとしても積極的に語りたがるようにする
例えば「怒り」とか
経済的困窮を「恥」ではなくする
個人としてこのレイヤーの問題にインパクトのある解決を生み出せるとは思えないyuiseki.icon
データに対して充分な対価を払う
Twitterのツイートなど、質の低いデータを使う
風呂敷が広がりすぎているので、ソフトウェアエンジニアリングで協力・解決できる範囲を明確にしてほしい
風呂敷が広がりすぎている
問題解決の基本
問題を細かく分割して個別に対処していくべきでは
proj-povertyでは問題を分析して分割する方向ではなく、問題の範囲をさらに広げる方向に労力が向けられている気がするyuiseki.icon
何かそうする理由がある?
「より多くの人を巻き込みたい」から?
そもそも、新型コロナウイルスによる経済的困窮をなんとかしたいんじゃなかったんでしたっけ
「日本のすべての貧困を撲滅する」まで風呂敷が広がっている時点でちょっとおかしかった
世界における貧困、経済的困窮、経済格差を1つの問題として捉えた場合、当然、
貨幣制度に欠陥がある
資本主義経済に欠陥がある
みたいな話に至る
個人的にはそんなの既に分かりきったことなので面白くないし、
個人としてこのレイヤーの問題にインパクトのある解決を生み出せるとは思えないyuiseki.icon
ソフトウェアエンジニアリングで協力・解決できる範囲について
ソフトウェアエンジニアリングでは計算機科学で解決できることしか解けない
膨大な情報の収集
膨大な情報の分析
情報の整理を含む
膨大な情報の伝達
情報の可視化を含む
膨大な情報に基づいた、特定の指標や評価関数を最大化・最小化する最適化問題の解決
例:年収
「世帯年収を上げるためにはどのような決断をするのが最も効果的か」
「世帯年収100万円以下の世帯を減らすためには複数ある政策のうちどれが最も効果的か」
年収ではなくなにか別の生活満足度やより複雑な指標の最適化問題を解くのなら
それらを構成する交絡変数を解明する必要がある
解決すべき問題の制約条件が増えるほど解くことは困難になる
関係者(ステークホルダー)が増えるほど制約条件は増えて問題解決は困難になる
「嫌な気持ちを抱く人を減らしたい」
「より多くの人を巻き込みたい」
なども制約条件
ソフトウェアによって解決すべき問題が定まっていないのにステークホルダーや制約条件ばかり増えていくのは結構ヤバいと思うyuiseki.icon
自分が経験不足なだけかもしれないが、正直な所、そんな話聞いたこと無い
Code for Japanのような多数の人間が集まるコミュニティによってソフトウェアエンジニアリングが加速するパターン
以下はあくまでもyuiseki.iconの個人的な考えです
解くべき問題が明確である
△「みんなでどんな問題を解決するべきか考えようよ!」
注:最近は「みんなでどんな問題を解決するべきか考えようよ!」という取り組みもCode for Japanはやっている
例:Decidim
◯「この問題を解決したいからみんな助けてくれ!!」
これでうまくいっている事例は結構ある
proj-povertyでは解くべき問題を決定することを先延ばししているように感じるyuiseki.icon
何かそうする理由がある?
解けそうな問題から先に取り組んでいくという考え方もあるのでは?
計算機科学的にはこっちのほうが正攻法っぽい
受験の時だってムズい問題は後回しにして点を稼ぐでしょう
「ある問題があって、いろいろ試行錯誤して、それが解けた!」というのがエンジニアにとって最大の快楽なので、具体的な問題が提示されない、問題は提示されないが制約条件は提示される、というのは気持ちよくない状況ですyuiseki.icon
解決できるかどうかはどうでもいいからとにかくひたすら困難で巨大な問題に取り組み続けたいという人もいるのかもしれない
なんでもいいから問題を解決したいエンジニアとは完全に相性が悪い
その問題を解くためのソフトウェア開発に協力してもらえる
その問題を解くために必要な情報収集に協力してもらえる
情報を収集するべき適切な情報源を教えてもらえる
情報を収集するべき情報源の一覧を整理してもらえる
膨大な情報を含んだデータセットを提供してもらえる
プログラミングができなくても可能
その問題を解くために必要な情報整理に協力してもらえる
収集した情報を整理するための適切なキーワードを教えてもらえる
収集した情報を人力で整理してもらえる
プログラミングができなくても可能
ソフトウェアエンジニアリング界隈における名言として
Shut the fuck up and write some code
という言葉がある
日本語だと
「ぐだぐだ言ってねえでコード書けよハゲ」
と訳されている
別の言い方をすると
「凡百の議論より実践」
「百の議論より一つの実行」
口ではなく手を動かそう – Webサービスのつくり方 ~「新しい」を生み出すための33のエッセイ
そこに1000人いたとして、アイデアを思いつくのが100人、アイデアを実現するのが10人、アイデアで成功する人は1人
私はこの言葉を信条のひとつとしているのでyuiseki.icon
正直、議論によって納得したり説得したりなんてどうでも良いから、何かアイデアを実現したり、動くものを作り上げて見せたほうが速いと思っているyuiseki.icon
議論をするのが好きな人が集まる場に、コードを書くのが好きな人が集まることはないと思う……
品位を意識しすぎているのではという話をしたい
保育園落ちた日本死ね!!!
タイトルに死ね!!!とかいう品の悪い言葉が入っているが、この匿名の筆者による記事はマスメディアや国会で取り上げられて日本の保育園制度の見直しに繋がった
国政関連で唯一「保育園落ちた日本死ね」流行語受賞 - 社会 : 日刊スポーツ
「保育園落ちた日本死ね」から一年、テレビとネットは保育園問題をどう語ってきたか(境治) - 個人 - Yahoo!ニュース
https://twitter.com/gerogeroR/status/1411281139025674242
もへもへ(@gerogeroR)
SDGSを叫ぶ人で欺瞞なのは、一番最初の項目が「貧困をなくそう」なのに「環境とジェンダーしか叫ばない」連中だと思う。
というか「環境守るためのコストのせいで貧困層が困ったらSDGS的には正しくない」のにそこを無視する連中わんさかいる。まぁ貧困層なんて汚いものだからどうなってもいいんだろう
yuiseki.iconこいつはクソバカなんだろうなとは思う
SDGsを掲げてかつ貧困に取り組んでいる企業は無数にある
「環境守るためのコストのせいで貧困層が困ったらSDGS的には正しくない」のにそこを無視する連中わんさかいる
具体例なしの藁人形論法
一方でSDGsのような取り組みが所詮リベラルの自己満足だと思われているという世間の空気があるのも明らか
つまり、
「貧困」という言葉を掲げても避ける人がいるけど、
「インクルーシブ」という言葉を掲げても避ける人はいる
「より多くの人を巻き込みたい」という制約条件を前提とするなら「インクルーシブ」という言葉も使うべきではないということになるのでは
「インクルーシブ」という言葉を選んだ時点である層の人々を排除している
https://twitter.com/gomachan_ks/status/1415292804062859270?s=21
ごまたん(@gomachan_ks)
引越し前に事故物件まとめサイト『大島てる』を確認するのは当たり前になりつつありますが、迷惑なご近所さん&道路族をまとめた『DQN TODAY』というサイトもあるので併せて確認すると良いと思います。
おばけより、生きている人間の方が怖いです。
https://t.co/8AFIuwmZjC
知人の発言(Slackより無断転載)
エンジニアに足りてないのはDQNの感性だな
c4j とかも、エンジニアというかリテラシーある人の視点でwebがデザインされており
ああいう情報が必要な人々って楽天みたいな方がいいんだよな。
yuiseki.iconつまり、
Code for Japanがやっている、困っている人へのITによる支援は、所詮エリート層が自己満足でやっていて、本当に必要としている人々のニーズとはズレているんじゃないか、という見解
yuiseki.iconの考え
いろいろな人の気持ちに配慮して顔色をうかがって品の良い取り組みをしたとして、本当に困っている人を救えるのかどうか、本当に社会を変えられるのかどうか、極めて懐疑的になっている
10年20年後には成果が出るのかもしれないが
正直な所、ソフトウェアによる問題解決で短期的なインターバルで具体的な成果が出たという快楽を得られないとモチベーションが維持できない
コロナで仕事が無くなって家賃が払えなかったりその日の食事に困っていたり生活費のためにカードローンやリボ払いをするしかない人々にとって、インクルーシブとかダイバーシティとかウェルビーイングなんて言葉に何か救いがあるんでしょうか
当事者からしたらエリートリベラルどもが現に困っている自分を無視して何かキラキラした理想論を語っているというのはイラつくのでは
貧困層ほどアンチリベラルで保守的思想に親和的な傾向があるのはそういうことだと思う